聖書のことばは多くの教えや適用内容を含んでいます。それらをうまく生活に応用させていくためには、著者が本来意図したこと、伝えようとした目的を見極める必要がありますが、これを一人でしようとすれば大変な作業です。この「聖書の学びガイド」では、学びをより身近なものとするために、C.O.M.A.(Context = 文脈、Observation = 観察、Meaning = 意味、Application = 適用)の手法を用いて中心となるテーマに焦点を当てています。また、各ガイドでは「ディスカッションのための質問」(理論に焦点を置く)ではなく、「適用のための質問」(参加する人が個人的に聖書の中心的なテーマと対話する)を用いています。 

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ヤコブの手紙 1:1-18 | 神を愛し、神のことばを行う人々 →

ヤコブの手紙は、紀元40年~62年の間に書かれた、新約聖書最古の文書の一つです。非常に実践的な内容の書物であるため「新約聖書の箴言 」と呼ばれることもあります。イエスの兄弟である使徒ヤコブは、福音の力によってのみ説明できるような徳、品性、自制心を神の民が示していくことを熱心に追求しています。

ヤコブの手紙 1:19-2:25 | 神を愛し、神のことばを行う人々 →

ヤコブの手紙は、紀元40年~62年の間に書かれた、新約聖書最古の文書の一つです。非常に実践的な内容の書物であるため「新約聖書の箴言 」と呼ばれることもあります。イエスの兄弟である使徒ヤコブは、福音の力によってのみ説明できるような徳、品性、自制心を神の民が示していくことを熱心に追求しています。

 

神の大いなる物語 #1 | 聖書の全体像がわかる →

神の国 (御国) は、聖書全体を一つにまとめるテーマです。あなたは神の民の一員であり、神のご支配の下、神の場所に生きる存在とされています。この説教シリーズに耳を傾ける皆さんが聖書の「大きな全体像」を理解し、自分の人生を王であるイエスに委ねる手助けとなればと願います。

ピリピ人への手紙 1-2 | 私にとって生きることはキリスト →

ピリピ人への手紙の主要なテーマは励ましです: パウロはピリピに住 む信徒たちが、天国へ移住する市民として、この世での生活を送れる ように、彼らを励ましたいのです。この生き方が出来ているかどうか は、神に仕え、またお互いに仕えることへの決意の深まりによって証 明されるものです。

ピリピ人への手紙 3-4 | 私にとって生きることはキリスト →

ピリピ人への手紙の主要なテーマは励ましです: パウロはピリピに住 む信徒たちが、天国へ移住する市民として、この世での生活を送れる ように、彼らを励ましたいのです。この生き方が出来ているかどうか は、神に仕え、またお互いに仕えることへの決意の深まりによって証 明されるものです。

神の大いなる物語 #2 | 聖書の全体像がわかる →

神の国 (御国) は、聖書全体を一つにまとめるテーマです。あなたは神の民の一員であり、神のご支配の下、神の場所に生きる存在とされています。この説教シリーズに耳を傾ける皆さんが聖書の「大きな全体像」を理解し、自分の人生を王であるイエスに委ねる手助けとなればと願います。

ヨハネの黙示録 1-11 | 神の勝利を祝して →

ヨハネの黙示録は聖書の中で最も誤解されている書物です。表現が曖昧で混乱を招くように思えるため、人々は黙示録を読むのを避けがちです。それゆえ、もし私たちが神を讃え、他の人々をも神に導こうとするならば、黙示録が大きな物語の中でどのように位置づけられるのかを理解しなければなりません。

ヨハネの黙示録 12-20 | 神の勝利を祝して →

ヨハネの黙示録は聖書の中で最も誤解されている書物です。表現が曖昧で混乱を招くように思えるため、人々は黙示録を読むのを避けがちです。それゆえ、もし私たちが神を讃え、他の人々をも神に導こうとするならば、黙示録が大きな物語の中でどのように位置づけられるのかを理解しなければなりません。

創世記 37-41 | 福音のプロローグ →

聖書のはじめの書を通し、福音がすべての部分に組み込まれていることを発見する旅に出ましょう

創世記 42-50 | 福音のプロローグ →

聖書のはじめの書を通し、福音がすべての部分に組み込まれていることを発見する旅に出ましょう

良いデザイナー →

このシリーズは、結婚やセックス、同性に惹かれること、ジェンダーについて探求します。クリスチャンとして、神がこれらの事柄に関し、視点をお持ちであることを知っています。しかし、私たち教会は、どのように寄り添えば良いのか分からず、距離を置いて判断してしまうことがあまりにも多いのです。 

ルカ 1 | 降りてきた希望 →

預言者マラキがエリヤの到来を約束してから400年が経ちまし た (マラキ 4:5-6)。イスラエルという国は、もはや独立国では ありません。王は外国人であり、ローマの代理人であるヘロデ 大王です。このような環境の中で、神はご自分の民を訪れること を選びました。

ヨハネによる福音書 →ヨハネは、永遠なる神の子イエスを力説しています。彼の示したしるし、教え、死、復活を通し、私たちは神のことばが肉となり、福音が宣べ伝えられるのを見ることができます。

ヨハネによる福音書 →

ヨハネは、永遠なる神の子イエスを力説しています。彼の示したしるし、教え、死、復活を通し、私たちは神のことばが肉となり、福音が宣べ伝えられるのを見ることができます。

ペテロの手紙第一 →

ペテロは、イエスの死と復活を、信徒の模範として捉えています。イエスが苦しみを通り、栄光に入ったように、従う者たちもイエスのために苦しみを経験します。これは恵みであり、神の喜ぶこと、特権とされるべきことです。

使徒 1-3 | 小さなはじまり →

使徒の働きは、神の恵みが世界中にあふれ出る物語です。この書は、エルサレムからユダ、サマリヤ、ローマの首都へと福音が広がっていく様子を追っています。使徒の働きにおいて、福音の広がりほど顕著なものはありません。

使徒 4-9 | 使徒の働き →

使徒の働きは、神の恵みが世界中にあふれ出る物語です。この書は、エルサレムからユダ、サマリヤ、ローマの首都へと福音が広がっていく様子を追っています。使徒の働きにおいて、福音の広がりほど顕著なものはありません。

教会 | 福音に集う (Pt.1) →

イエス・キリストが私たちをご自身のもとに呼び寄せる時、ご自分の民 (教会) へと招いてくださいます。しかし、「教会的」な考え方をしっかり持っている信徒は多くありません。この現状を改善するために、「教会」シリーズは私たちを基本に立ち返らせ、教会(教会論)についての健全な聖書的理解を築こうとするものです。