与えられた信念

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イエスと出会う前の自分は、わがままで自分勝手で、自分の感情のまま振舞っていたと思います。そして信念がなかったのだと思います。具体的なエピソードとしては、反抗期がひどかった。大学受験の時、1日10時間勉強をしなくてはならない。大好きだったテニスもできないという理由で塾から家に帰ったらよくクリスチャンである母親に当たっていました。それは自分がただイライラしていて、その感情をぶつけただけでした。そして何かを決めるときは、周りに流されて決めていたと思います。みんな受験勉強をするから受験する、みんなが就活するから就活する。みんなが嘘をついているから嘘をつく、等。自分にとってこれが正しいという判断基準や信念がなかったような気がします。

イエスさまを信じるようになったきっかけは、いくつかあります。

まず、学生時代にマーチン・ルーサーキング(キング牧師)と教科書の中で出会いました。彼は、当時黒人がアメリカで市民権がなく、ひどい扱い受けていた中で、一人信念を持って立ち上がり、スピーチし、何度も刑務所に入れられても立ち上がって、結果的に黒人の社会地位獲得まで言ったリーダーでした。でも結局彼をよく思わない人に殺されてしまいました。当時は「ただ信念があってかっこいい!」と思っていただけでしたが、伝記を読むにつれて「なんで刑務所に入れられても活動を続けられたんだろう」とか、「なんで死ぬかもしれないのに信念を持ち続けられたことが理解できませんでした。自分なら絶対できないな、とか思っていました。

時がたつにつれ、彼のほかにもネルソンマンデラや、孫文等、自分の尊敬する人は皆クリスチャンであることに気づきました。そしてその人たちの根底にあるのは聖書だから、聖書を読んでみようと思い、新約聖書を読んだら、書いてあることすべてがその通りだと思ったのです。そして覚王山のスタバで聖書を読んでいると、Jくんが隣に座り、このグレースシテイチャーチのことを教えてくれました。それがあって今ここに立ってスピーチしています。自分には救い主が必要だと気づきました。自分を幸せにしてくれるから、とかではなく、自分の罪が赦される道を与えることができるのはイエスさまだけだから、イエスさまが自分の人生の答えだとわかりました。

そして、あれだけひどい反抗期があったのに、何でクリスチャンである母親は自分のことを見捨てなかったのか。それは神様の愛があったからなんだと思います。

クリスチャンになってよかったことは、神様の福音を知ることができたことです。そして聖書の教えこそが正しいという確信を持てるようになったことです。周りに流されず。それは自分がなにかなしとげたいことがあるときは求めよ、ドアを叩くようにと教え(マタイ7;7)、愛情とはどんなものであるか、それは寛容であり、親切で、人をねたまず、自分の利益を求めないことだと明確な答えがあります。そして聖書に書いてあることが正しいのだという信念が持てるようになりました。周りの意見に流されず、福音が正しいのだと、確信を持つことができました。

神様に感謝します。

— H.E.

 
グレイスシティ