ワーシップミーティングにて

 
 

私がクリスチャンになった時は悲しみの感情しかなく、喜びの感情がありませんでした。いつも心がどんよりと暗く重かったのを覚えています。喜びの感情を求めていましたが、最初の牧師からは「感じや感情ではなく、みことばの上に信仰を立てなさい」と言われ続けました。

 
 

感情はあっても邪魔になるものではないけど、みことばの上にだけ建てる信仰には、必要ないと言われました。根拠はマタイ7:24-25の岩の上の土台に建てる信仰です。だから、たくさんのみことばを覚えて私の否定的な考え方を聖書の考え方と置き換えて行きました。

徐々に心が変えられて行きましたが、2004年に救われてクリスチャンになって、12年後の2016年にその教会を去る時でさえ、まだ、私の心には喜びの感情がありませんでした。

その後、最初の教会とは全く違う信仰、方針の教会に変わりました。家から車で5分で行ける距離が魅力的でした。でも、その教会の信仰の違いに私の霊は飢え乾いて行きました。

2021年4月25日に初めてグレイスシティチャーチに来て、礼拝で賛美をしたら、私の意思とは無関係に涙があふれました。とめどなく流れました。そしてこれだ!と思いました。「私を何とかしてください神様」と言う歌詞ではなく、主がどういうお方かを歌っている。「神様がどのようなお方かを知ること」が私の持つべき信仰なんだ、と改めて思いました。

そう言う神様を私は心に頂いている、なんと心強い事でしょうと思いました。2023年1月にグレイスシティ教会の教会員になってから、喜びの感情が少しずつ持てるようになってきました。実に19年かかりました。聖書はこう言っています。

 
「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです
— 2コリント3章18節
 

主は約束を守られるお方、真実なお方です。ワーシップミーティングのメッセージを聞いてこれらの事を思い出しました。全ての栄光を主にお返しします。

栗永皆子