聖金曜日(グッドフライデー)
イエスが息を引き取ったとき、一連の出来事が起こりました。 地上に闇が広がり、地震が起こり、死んだ聖人達の墓が開かれ、イエスが叫び声をあげました。そして...
"神殿の幕が二つに裂かれた、 上から下まで”
(マタイ27:51、マルコ15:38、ルカ23:45)
イスラエルという国の世界においては、祭司は定期的に神殿の中の聖所に入ることが許されていた。大祭司は年に一度だけ、内幕をくぐって、神の臨在の中心に入ることができた。(出エジプト記26:33-35、レビ記16:2)
実はこの他にもふたつの例外がありました:
ヨハネの黙示録の中で、著者であるヨハネはイエスの永遠の王国が到来すると、天の神殿が開かれることを描写しています(ヨハネの黙示録11:15)。契約の箱、すなわち最も聖なる場所にある神の御座は、すべての人に見えるようになり(ヨハネの黙示録11:19)、もう幕がその隔たりとなることはありません。
一連の終末的な出来事の中で、幕が "上から下へ "裂かれました。神ご自身がその存在を護る役割を担っていた幕を裂いたのです。神殿を飾るための幕(ギリシャ語: カタペタズマ)は実は他にもあったのですが、新約聖書の著者達はこの裂かれた幕が他とは違う特別なものであることを強調しています(ヘブル人への手紙 9:2-3参照)
さて、この幕が破られたことで一体何が実現されたのでしょうか?
まず第一に、この幕が破られたことは神殿が礼拝の中心としての地位を失いつつあることを示す一連の出来事の中のひとつでした。 この幕が破れたことが意味することは、地上の神殿の有効期限が終わりを迎えたことを象徴しています。 幕は神の御前に入ることを阻むもの、つまり、儀式をこなすという空虚な外面主義を象徴するものでした。皮肉なことに、幕が破られるのを見たのは、聖なる場所に捧げる生贄の管理に従事していた祭司たちだけでした。この祭司たちは、自分たちが拒絶した男が都の外で真の生贄として捧げられるということを通して、自分たちの職務が破たんする瞬間を目撃したのです。
第二に、神殿の幕が破られたことは、すべての信者が神への他では得られないアクセス権を与えられたという事実を指し示しています。 エルサレム神殿の中心にある垂れ幕は、人々の立ち入りを阻むための神殿の中にあった一連のバリアー(障壁)のひとつであり、これら一つ一つをイエスは取り除かれたのです。まず「異邦人の庭」は、イエスが信仰によってすべての国民を引き寄せたことによって取り除かれました。また、「女性の宮廷」は、イエスが男性、女性、ユダヤ人、ギリシャ人を等しく神の相続人とされたことで取り除かれました(ガラテヤ3:28)。そして「祭司の宮廷」は、イエスがすべてのクリスチャンを聖なる祭司として聖別したことによって、取り除かれました(1ペテロ2:9)。イエスは地上での宣教を通して、神殿内の象徴的であったバリアー(障壁)を取り除いていったのです。その過程において、最後に取り除かれたものが神殿の内幕でした。
神はもはや物理的な建造物の中に住まわれません。神は今、あらゆる立場の男女からなる教会に住まわれるようになりました。 そしてイエス・キリストとの結合によって、これらの人々は神の受容と祝福をもう何にも妨げられることなく受け取ることができるようになったのです。
ヘブライ人への手紙の著者は、このことを以下のように説明しています:
彼は地上で血を流された(ヘブル13:12)。
彼は再びよみがえり、天に昇った(ヘブル4:14)
彼は天の聖所に入り、神の前に自らを現わしました(ヘブル9:23; 10:12-14)
彼はその際、天にある「幕の内側」に入られた(ヘブル6:19-20)
彼の肉が、地上で引き裂かれたことで、幕を通り抜けて、天上にある場所へとつながるの「新たらしい生ける道」が開かれました(ヘブル10:19-20)